Sweet Days*

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暗い話ですみません
今朝から社長室に呼ばれて、「信頼している」私に手書きの原稿を
PC入力と頼まれました。
開いてみたら、「我が葬式」に関する内容で、知らせたい人や業者
のリスト、会社・社員たちへのメッセージ、思い出深いあの人この人
への一言……ただ入力だけでも、私は「嫌だ、なんてこういう縁起で
もないことを?まったく早すぎじゃない」と嫌がりながらでも余儀なく
キーボードを打ちましたが、遺言とは違うこれらの文書を読んでいる
うちに、ここまで自分の死を意識して、そしてある意味で「準備万端」
体勢で迎えるなんて、誰でもできることではないじゃないかと思いま
した。
今日の分が終る頃、「社長、なんて今からこういうのを一々用意す
るのですか」と尋ねてみたら、「・・・(中略)・・・まあね、繰り上げて大き
いな悲しみを消化するってことかなぁ・・・」と、社長がソファーに腰を下
ろして、意味深長に言いました。
そうか。そういうことなのか。私はホスピス活動を熱心にやっている
親友Jのことを思い出しました。彼女の話によると、生命の誕生、成長
などいっぱい謳歌されているのと同じ、死も人生の一つの大イベント
で、人が寿命の半分以上過ぎる頃から、死を迎える心の準備もし始
めるべきです。嫌だからこそ、自分の死に向い、そして受け入れること
の困難さがわかるとも。
私は、死というのが、医者・病人・研究者・宗教者以外にわざと語
られる必要ないと思っています、勿論Jさんのように「緩和ケア」意識
も高くないです。どっちかと言うと、死を怖がるほうかもしれません。
でも、社長自分も「死にたくない」という「惜命派」で、年が取るとともに、
最近は「どうせならきちんと準備していくべきだ」と思うようになったそ
うです。
もしかして、人間が死から受けた悲嘆のような気持ちの変化も、プ
ロセスがあるのかもしれません。まだ若いからそこまで考えたくない
けど、もしどうしてもという時期がやってきたら、私も積極的に迎えて
いけるようになりたい。
決して歓迎されない話題だけど、少しだけは考え直しました:「死」
について考えることって、すべてタブーではありません。

